【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(4) 変貌期(80年代後半)
変貌期(80年代後半)
特別企画の4回目。
前回は80年代前半に登場した「アンデス音楽の翻案」ともいえる電子音楽について述べた。
80年代後半になると、シンセサイザーというジャンルそのものよりも打ち込みのビートを強調するテクノやハウス、ユーロビートなどのジャンルが注目を浴びるようになる。
そうした中で、アンデスの音そのものを拾おうというプロジェクトが発生した。
4 電子音楽の変貌期

④ ATAHUALPA / Ritmo Andino (1990)ITALY
アタウアルパ『失われた帝国〜アンデスのリズム 』
このアルバムがリリースされた1990年の日本は時あたかもバブル最絶頂期。時の流れは急加速。80年代に登場したフェアライトCMIなどどのような音でも描きうるデジタルシンセサイザーが普及すると、かえってシンセサイザーだけで全てを表現しようなどという考え方自体がチープな発想になりつつあった。
80年代にようやくその地位を確立しつつあった「シンセサイザー」なるジャンルだて自体がもはや過去のものとして消滅。
とはいっても、シンセサイザー奏者や新譜自体がなくなったわけではない。
例えば、S.E.N.S(センス)。80年代の喜多郎や姫神などニューエイジ・シンセサイザーの流れを受けながらも「電子音楽」という気負いを全く意識させない新感覚派ユニットとして『NHK特集 海のシルクロード』のサウンドトラックでブレイクしたのが88年だった。つまり、シンセサイザーの使い方が大きな転換点を迎えたのだ。
●『NHK特集 海のシルクロード』テーマ曲「海神」/S.E.N.S(この当時は"SENS"表記)。この曲のようにピアノを前面に押し出すナンバーもある。感情に訴える自然な音楽をつくることが主目的となっており、シンセサイザーへのこだわりが感じられないのが特徴。
繰り返すが、シンセサイザーそのものが消滅したわけではない。むしろかつては超高額機器だったシンセサイザーやシーケンサーといった機器が一般化し、その結果シンセサイザーの使い方が多様化したりいくつもの方向性に分岐、細分化していったというのが正解だろう。
90年代に流行ったハウス、テクノ、ユーロビート、トランスなどもシンセサイザー 、シーケンサー、ドラムマシンを使って生み出された音楽なのである。
さて、イタリアンハウス/トランスの立役者ともいえるリカルド・ペルシ Riccardo Persi が立ち上げたアンビエントハウスのチーム/レーベルが DFC (Dance Floor Corporation) である。
彼はアンビエントハウスという新しいサウンドを提唱した後、さらにその音を突き詰めてトランスという新境地に至るが、その直前にトライバルハウスとでも言うべき新プロジェクトを興している。これが、その名もズバリ、第13代インカ皇帝の名を冠したアタウアルパ Atahualpa (デビュー当初は「アタウアルパ1530」 Atahualpa1530 )。イタリア人とペルー人の混成チームだ。かなりの枚数30センチアナログ盤ミニアルバムをリリースしているが、唯一の日本盤がベスト盤ともいえるCD「失われた帝国〜アンデスのリズム」 Ritmo Andino である。※ オープニングナンバーはゴリゴリにハードなテクノサウンド。
●"Ultimo Imperio"
ところが2曲目以降、がらっと音が変わる。
まずはペルー人側主導でコンフントスタイルのスタンダードな生フォルクローレをレコーディング、そこにドラムマシンやシンセサイザーでリズム、ベースをミックスダウンするのだ。こうしたペルー人主導のナンバーが7曲も並ぶ。リカルド・ペルシ側主導のナンバーはどれもインカ帝国をテーマにしたオープニング、別バージョン、エンディングとわずか3曲。
サンポーニャもチャランゴも知らない日本盤解説者は、DFCに起きた不測の事態になすすべもなくただひたすら「何の冗談か」「音楽性が分からない」「気狂いじみた叫び声」「アンデス民謡」「マンドリンのような楽器の音がきれい」と終始混乱しているのが面白い。ではアタウアルパの音楽性を理解するヒントは何だろう。これはM-4 “La Furia y El Condor”を聴けばすぐ分かる。
時系列的に考えればこの選曲、間違いなくイギリスのあのアルバムの影響下にあることは間違いない。
80年代にヨーロッパで大ヒットしたインカンテーション Incantation の1stアルバム 『コンドルの翼に乗って』 "On the wing of a condor" である。
日本やフランスがフォルクローレを絶滅危惧種にしちゃった80年代。
ロックの殿堂イギリスで突然ブレイクしたイギリス人によるイギリス人のためのフォルクローレバンドである。いや、そもそもイギリスではこれまでフォルクローレブームそのものが存在しなかった。だから「フォルクローレ」というジャンル認識がほとんどなく、「ちょいとオルタナティブで新鮮な音楽」といった感覚で聴かれ、特にディスコでウケていたという。1stアルバムは30万枚を売上げ、6週間連続チャート10位以内にいたという大ヒット。そんなインカンテーション最大のヒット曲が 1stアルバムからシングルカットされた"Cacharpaya"である。
この曲の何がウケたのか。その他"The condor dance" "Sicriadas" "The Friends of the Andes"など収録された人気曲は皆同じ傾向を持っている。DFCのリカルド・ペルシは恐らくこれらの曲にハウスとの共通点を見出したのだ。
それが「繰り返しによる熱狂」である。ただひたすら繰り返す。
そもそもフォルクローレなんて、みんな A-A'-B-B'-C-C'-A-A‘-B-B‘……(ひたすら繰り返し)ではないか。特にインカンテーションのこの数曲の演奏は確信犯的にアンビエントミニマルというかトランスというかサイケというかその手の興奮を煽ってくる名アレンジ・名演奏・名録音。
実はアタウアルパのこのアルバム、先程のM-4がインカンテーションの"The condor dance" そのものなのだ。
この曲、そもそもはロス・インカス Los Incas が "Jilacatas" としてレコードに収録したものをインカンテーションがアップテンポにブラッシュアップ、スピードチューンに仕立てたもの。
それを鑑みるに、アタウアルパのアレンジ自体は「カバー」というより、かなり意識的にインカンテーションに寄せた「コピー」なのである。
●Los Incas "Jilacatas"(1971)
●Incantation "Condor Dance"(1982)
●Atahualpa "La Furia y El Condor"(1990)
リカルド・ペルシがインカンテーションの演奏を直接聴いたのか、それともイタリア在住ペルー人メンバーたちの演奏でこの曲を知ったのかは分からない。しかし少なくともヨーロッパでのインカンテーションの成功が、当時最先端の音楽であったハウスの歴史にいささかではあっても影響したといって差し支えないだろう。
【物語性】★★★☆☆……インカ帝国をテーマにしたナンバーは事実上ハードテクノなオープニングとエンディングのみ。
【アンデス音楽要素】★★★★★……アンデス音楽のトランス要素に着目、実際の演奏をミックスダウンして構成されたアルバム
対極に位置しそうなアンデス音楽との間に共通点を見出し、素材を生かしながらハウスと融合しようという点では(出来不出来はともかく)とても意義深いアルバムだろう。
一方、ほぼ同じ時期に、同じイタリア人が、同じインカ帝国をテーマにアルバムをつくったのに全く違う方向に行っちゃったケースも次回、紹介しておこう。
(「外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(5)衰退期(90年代)①」へ続く)
●注●
今回取り上げたアルバムより、これらのミニアルバムの方がさまざまなミックスが収録されていて全体的によりハードなハウスとなっている。つまり、今回の"Ritmo Andino"と銘打ったアルバムは、ペルー人メンバーに花を持たせて素材にそれほど手を加えない刺身状態のものが多いということなのだ。このアルバムで初めてアタウァルパを体験したDFCファンはさぞかし面食らったに違いない。
筆者もミニアルバムは6枚しか入手しておらず断言はできないが、総じてミニアルバム群の方が完成度が高く、そもそも刺激的である。
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