【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(3) 全盛期(80年代前半)
【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(3)
全盛期(80年代前半)
特別企画の第3回目。今回はいよいよ電子音楽全盛期の80年代に突入だ。
アンデス音楽が欧米など先進諸国の音楽に影響を与えたことってあったのだろうか。
外国製電子音楽とアンデス音楽との関係を検証してみたい。
3 電子音楽の全盛期

③CUSCO / APURIMAC (1985)GERMAN
クスコ『インカ伝説』
クリスチャン・シュルツェ Kristian Schulze とミヒャエル・ホルム Michael Holm のプロジェクト、クスコ Cuscoが85年にリリースした『インカ伝説 』 "APURIMAC" (1985)は、(そんなものがあるとすれば、だが)電子音楽のアンデス音楽受容の歴史において、革命的なアルバムであったといってよいだろう。
以下、当時の音楽を取り巻く状況とともにのぞいてみよう。
70年代には「年間100枚の新譜」などといわれたアンデス音楽の日本盤リリースラッシュも、80年代になると完全に途絶。フランス・日本を中心に世界で起きた「フォルクローレブーム」は急速に冷め、ラテン音楽リスナーの興味は70年代後半からブラジル音楽へと移行しつつあった。
かようなフォルクローレ人気の凋落に反比例するかのように「シンセサイザー」というジャンルは80年代初頭に頂点を迎える。
当初非常に高価だったシンセサイザーも80年代には多くの音楽家が入手できるようになったことがその一因であろう(70年に冨田勲がモーグを輸入した際は「当時の価格で1000万円」したといわれる)。 70年代中盤以降、モーグ、コルグ、ヤマハ、ローランド、EMS、シーケンシャル・サーキット他、多くのメーカーから多様なアナログシンセサイザーが続々発売されるようになっていた。一方でデジタル・シンセサイザーが実際に活躍し始めたのもこの頃で、中にはフェアライトCMIなど1000万を超える高価格帯の機材によってPCM音源/サンプリング音などの新しい手法も登場し、シンセサイザーミュージシャンの急増はとりもなおさず、電子音楽の「多様化」を意味していた。
ここで特筆したいのは、クスコがアンデスをテーマにしたアルバムをリリースするにあたって、音楽的な構造というか音楽的な文法に今までの電子音楽にない大きな試みを行なった点である。
今でこそクスコはドイツのニューエイジ系シンセサイザープロジェクトとの印象が強いが、このアルバムがリリースされるまで、クスコといえばプログレッシブ・ロックから派生したアンビエント・リゾート・ロック(?)のような感があった。クラウトロックの最果てというか。
だからインカの古都名をバンド名としてはいるが、決して題材的にもサウンド的にもアンデスと関連があったわけではない。
ところが、日本テレビ(NTV)がドキュメンタリー番組『インカ文明』を放送する際、ゆかりの深いバンド名を持つ彼らに音楽を依頼することになった。おそらく、NTV側としてはシンセサイザー奏者・喜多郎(プログレッシブロック・バンド、ファー・イースト・ファミリー・バンド Far east family band の元メンバー)が『NHK特集・シルクロード』の音楽を担当して異例の大ヒットになったことが念頭にあったのは間違いないだろう。
全編ほとんどシンセサイザーで演奏され、耳に馴染みやすい1枚となったこのアルバムは50万枚を売り上げる世界的ヒット作となった。※
当時高校生だった筆者がクスコファンを自認する級友に発売されたばかりのこのレコードを聴かせたところ、「ずいぶんとポップになっちゃったなあ」と残念がっていたのを覚えている。今聴くとクスコもそこまで急に変わったとは思えないが、当時は結構なイメチェンに聴こえたものだった。ではクスコはなぜこのアルバムで「ポップ」な方向に舵をきったのだろうか。
日本では、すでに活動停止していたYMOが依然として絶大なる支持を得ていた時代である。NTVがクスコにテクノポップなサウンドを要求した可能性もある。
しかし、クスコがポップ化したように聴こえるのは、おそらくアンデス音楽を電子音楽に翻訳したことから生まれた効果なのではないだろうか。
キャッチーな叙情的メロディ、ケーナとサンポーニャを明確に描き分けた電子音の斬新さと爽やかさ。ご丁寧にも左右チャンネルでサンポーニャのコンテスタード奏法まで一部再現。70年代フォルクローレの聴きやすい要素のみをピックアップして純化したような音なのだ。安心の2拍子系リズムも相まって、フォルクローレなる音楽を知らない人からすれば「なぜ突然このようなサウンドになっちゃった」と疑問に思って当然だ。
そう、つまりこのアルバムが革新的なのは、アンデス音楽から電子音楽への再構成・翻案という手法がとられた点なのだ。より端的にいえば、「インカ帝国が云々」というカギかっこつきの物語性をモチーフとせず、60年代半ばあたりからヨーロッパに溢れた「アンデス音楽」をモチーフに選んだ電子音楽だという点が重要なのである。
●"INCA DANCE" イントロがサンポーニャのコンテスタード奏法を模している。
今改めて聴き直してみると当時感じられた斬新さ・鮮烈さはもはやほとんど感じられない。これは主メロを受け持つケーナやサンポーニャのサウンドが、クスコのヒットによってその後手垢にまみれるようになったからともいえる。
また、曲想がずいぶんと単純なようにも感じられるが、フォルクローレとはまあそうしたものである。むしろ、これらの楽曲をチャランゴやサンポーニャでカバーしてみたら、実際にフォルクローレのアルバムが出来ちゃいそうなところが面白いではないか。
【物語性】★★★☆☆……インカをテーマにしたドキュメンタリーのサウンドトラックだが、ストーリー性はあまりみられない
【アンデス音楽要素】★★★★☆……アンデス音楽をシンセサイザーで再現しようと試みたアルバム
クスコの「アンデス音楽を電子音楽に翻訳」するという企画は当たり、このアルバムはクスコの代表作となった。
とはいえ、あくまでドイツ人がドイツのオーブンで作った料理だ。確かにアンデス風に仕上げてはいるが、アンデスの食材は実はどこにも使われていない。あくまでドイツ料理なのである。
そこで90年のシンセサイザー変貌期に登場したのが、アンデスの素材そのものを食材として利用しようとするイタリアンシェフである。
「ワールドミュージック」という枠組みの流行とデジタルシンセサイザー機材やDJミックス技術の進歩によってそういう時代の流れが来たのだ。
(「外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(4)変貌期(80年代後半)」へ続く)
●注●
最終曲だけはシンセなし。オープニングの主題をエレキギターでロックするところが、「俺たちのサウンドを最後だけちょっと爆発させてくれ」みたいで面白い。
全盛期(80年代前半)
特別企画の第3回目。今回はいよいよ電子音楽全盛期の80年代に突入だ。
アンデス音楽が欧米など先進諸国の音楽に影響を与えたことってあったのだろうか。
外国製電子音楽とアンデス音楽との関係を検証してみたい。
3 電子音楽の全盛期

③CUSCO / APURIMAC (1985)GERMAN
クスコ『インカ伝説』
クリスチャン・シュルツェ Kristian Schulze とミヒャエル・ホルム Michael Holm のプロジェクト、クスコ Cuscoが85年にリリースした『インカ伝説 』 "APURIMAC" (1985)は、(そんなものがあるとすれば、だが)電子音楽のアンデス音楽受容の歴史において、革命的なアルバムであったといってよいだろう。
以下、当時の音楽を取り巻く状況とともにのぞいてみよう。
70年代には「年間100枚の新譜」などといわれたアンデス音楽の日本盤リリースラッシュも、80年代になると完全に途絶。フランス・日本を中心に世界で起きた「フォルクローレブーム」は急速に冷め、ラテン音楽リスナーの興味は70年代後半からブラジル音楽へと移行しつつあった。
かようなフォルクローレ人気の凋落に反比例するかのように「シンセサイザー」というジャンルは80年代初頭に頂点を迎える。
当初非常に高価だったシンセサイザーも80年代には多くの音楽家が入手できるようになったことがその一因であろう(70年に冨田勲がモーグを輸入した際は「当時の価格で1000万円」したといわれる)。 70年代中盤以降、モーグ、コルグ、ヤマハ、ローランド、EMS、シーケンシャル・サーキット他、多くのメーカーから多様なアナログシンセサイザーが続々発売されるようになっていた。一方でデジタル・シンセサイザーが実際に活躍し始めたのもこの頃で、中にはフェアライトCMIなど1000万を超える高価格帯の機材によってPCM音源/サンプリング音などの新しい手法も登場し、シンセサイザーミュージシャンの急増はとりもなおさず、電子音楽の「多様化」を意味していた。
ここで特筆したいのは、クスコがアンデスをテーマにしたアルバムをリリースするにあたって、音楽的な構造というか音楽的な文法に今までの電子音楽にない大きな試みを行なった点である。
今でこそクスコはドイツのニューエイジ系シンセサイザープロジェクトとの印象が強いが、このアルバムがリリースされるまで、クスコといえばプログレッシブ・ロックから派生したアンビエント・リゾート・ロック(?)のような感があった。クラウトロックの最果てというか。
だからインカの古都名をバンド名としてはいるが、決して題材的にもサウンド的にもアンデスと関連があったわけではない。
ところが、日本テレビ(NTV)がドキュメンタリー番組『インカ文明』を放送する際、ゆかりの深いバンド名を持つ彼らに音楽を依頼することになった。おそらく、NTV側としてはシンセサイザー奏者・喜多郎(プログレッシブロック・バンド、ファー・イースト・ファミリー・バンド Far east family band の元メンバー)が『NHK特集・シルクロード』の音楽を担当して異例の大ヒットになったことが念頭にあったのは間違いないだろう。
全編ほとんどシンセサイザーで演奏され、耳に馴染みやすい1枚となったこのアルバムは50万枚を売り上げる世界的ヒット作となった。※
当時高校生だった筆者がクスコファンを自認する級友に発売されたばかりのこのレコードを聴かせたところ、「ずいぶんとポップになっちゃったなあ」と残念がっていたのを覚えている。今聴くとクスコもそこまで急に変わったとは思えないが、当時は結構なイメチェンに聴こえたものだった。ではクスコはなぜこのアルバムで「ポップ」な方向に舵をきったのだろうか。
日本では、すでに活動停止していたYMOが依然として絶大なる支持を得ていた時代である。NTVがクスコにテクノポップなサウンドを要求した可能性もある。
しかし、クスコがポップ化したように聴こえるのは、おそらくアンデス音楽を電子音楽に翻訳したことから生まれた効果なのではないだろうか。
キャッチーな叙情的メロディ、ケーナとサンポーニャを明確に描き分けた電子音の斬新さと爽やかさ。ご丁寧にも左右チャンネルでサンポーニャのコンテスタード奏法まで一部再現。70年代フォルクローレの聴きやすい要素のみをピックアップして純化したような音なのだ。安心の2拍子系リズムも相まって、フォルクローレなる音楽を知らない人からすれば「なぜ突然このようなサウンドになっちゃった」と疑問に思って当然だ。
そう、つまりこのアルバムが革新的なのは、アンデス音楽から電子音楽への再構成・翻案という手法がとられた点なのだ。より端的にいえば、「インカ帝国が云々」というカギかっこつきの物語性をモチーフとせず、60年代半ばあたりからヨーロッパに溢れた「アンデス音楽」をモチーフに選んだ電子音楽だという点が重要なのである。
●"INCA DANCE" イントロがサンポーニャのコンテスタード奏法を模している。
今改めて聴き直してみると当時感じられた斬新さ・鮮烈さはもはやほとんど感じられない。これは主メロを受け持つケーナやサンポーニャのサウンドが、クスコのヒットによってその後手垢にまみれるようになったからともいえる。
また、曲想がずいぶんと単純なようにも感じられるが、フォルクローレとはまあそうしたものである。むしろ、これらの楽曲をチャランゴやサンポーニャでカバーしてみたら、実際にフォルクローレのアルバムが出来ちゃいそうなところが面白いではないか。
【物語性】★★★☆☆……インカをテーマにしたドキュメンタリーのサウンドトラックだが、ストーリー性はあまりみられない
【アンデス音楽要素】★★★★☆……アンデス音楽をシンセサイザーで再現しようと試みたアルバム
クスコの「アンデス音楽を電子音楽に翻訳」するという企画は当たり、このアルバムはクスコの代表作となった。
とはいえ、あくまでドイツ人がドイツのオーブンで作った料理だ。確かにアンデス風に仕上げてはいるが、アンデスの食材は実はどこにも使われていない。あくまでドイツ料理なのである。
そこで90年のシンセサイザー変貌期に登場したのが、アンデスの素材そのものを食材として利用しようとするイタリアンシェフである。
「ワールドミュージック」という枠組みの流行とデジタルシンセサイザー機材やDJミックス技術の進歩によってそういう時代の流れが来たのだ。
(「外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(4)変貌期(80年代後半)」へ続く)
●注●
最終曲だけはシンセなし。オープニングの主題をエレキギターでロックするところが、「俺たちのサウンドを最後だけちょっと爆発させてくれ」みたいで面白い。
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