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フォルクローレなど、アンデス諸国の名盤をご紹介するレビューです! 独断・偏見、何でもアリですのでご容赦を!

【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(1) 黎明期(70年代前半)

2021年04月30日
【コラム】 1
【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(1)
黎明期(70年代前半)

 


かつて国内盤レコードのオビには「ロック」「ジャズ」など小さくジャンル名が記されていたものだ。販売店が分類に困らないようにという配慮だったのだろう。されど音楽は時代とともに変わるもの。時代の気分や要請に合わせて新しいカテゴリがどんどん生まれる。※1
もちろんその逆もまた然り。いつのまにか聴衆を失い消えていったジャンルも数多ある。
80年代の「ニューエイジ」 あたりもそうだが、70年代の日本で膾炙した「フォルクローレ」なんてジャンル名はもはや現代日本においては死語である。CDショップでバイトのお姉さんに尋ねたところで、ちょっと分からないですうってのが圧倒的多数だろう。バブルへと続く「明るい」「カルい」「人工的」「ポップ」な80年代の空気の中、フォルクローレというジャンルは死んじゃったのだ。少なくとも日本の音楽産業では。※2
そう、音楽は時代の要請で生まれるもの。その時代の人々の心に突き刺さり愛されるもの。だとすれば、時代や社会の気分に合わなくなった音楽が大衆から忘れられていくのは仕方のないことなのかも知れない。

ところで、ひっそりと消えていったジャンルのひとつに「シンセサイザー(電子音楽)」なんてのがある。楽器そのものがジャンル名になってしまうあたり、かつてこの楽器のもたらす可能性がいかに期待されていたのかわかろうというものだ。

当初このジャンルに着目したファン層には2つの方向性があったように思う。
一つはプログレッシブ・ロックを聴く層。エマーソン、レイク&パーマー Emerson, Lake & Palmer(以下、ELP)やタンジェリン・ドリーム Tangerine Dream などは早くから全編シンセサイザー による傑作を発表していたことで有名。もう一方はクラシック/現代音楽ファン層である。バッハをMoogでカバーしたウォルター(ウェンディ)・カーロス Walter Carlos「スイッチト・オン・バッハ」"Switched-On Bach"(1969)は世界的大ヒットとなり、グラミー賞まで受賞している。かの冨田勲もこれを受けて日本で初めてモーグ・シンセサイザー Moog III を導入、ドビュッシーを核に据えたアルバム「月の光」"Snowflakes Are Dancing"(1974)をリリースするや世界的脚光を浴びた。

(左から)タンジェリン・ドリーム『ルビコン』(1975)/ELP『タルカス』(1971)/ウォルター・カルロス『スゥイッチト・オン・バッハ』(1969)/冨田勲『月の光』(1974)

プログレからのアプローチ、クラシックからのアプローチ、いずれにしても当時の電子音楽最大の武器は、ストーリーやコンセプトを自在に語れることだった。このことはアルマジロ型怪獣戦車の活躍を叙事詩的に描くELPの「タルカス」"Tarkus"(1971)、オルゴールを聴く男(宇宙人?)の無線通信から始まる冨田勲の「惑星」(1976)などを聴けば自明のことで、今の商業音楽界にはない特徴といえる。
音楽で世界観や物語を自在に描ける、となればいきおい歴史/伝説に材を求めるシンセサイザー作家も多くなる。当然「インカ帝国滅亡」「アンデス文明」なんてテーマを掲げたアルバムも何枚かリリースされている。

そこでこたびは全6回にわたる特別編。
アンデス諸国の名盤紹介は休憩して「アンデスを描いた電子音楽」の世界をちょっとだけ覗いてみよう。しかもそれは「外国人が描いた」世界だ。
もちろんこのサイトの本来の趣旨は、アンデス諸国の名盤紹介。欧米の音楽が「インカ帝国」をどう認知しただの、どう描いただの、この際どうでもよろしい。一応、「これを聴け!」はアンデス諸国の音楽がテーマなのである。だから……。

かかる外国製電子音楽にアンデス音楽の要素は果たしてありやなしや。

ただその一点突破である。
と、いうことで70年代から90年代にかけてアンデス圏以外のミュージシャンがアンデスをテーマにした音盤を6枚眺めるだけの企画だ。まあ、普段から「ツェッペリンの影響を受けてデル・プエブロ・デル・バリオのアルバムが完成した」「グルーポ・アイマラはサイケロックである」なんてことばかり書いている身としては、逆に「アンデス音楽が当時の最先端音楽の流れを変えたのである」なんて書いてみたいものだが、もちろん期待しちゃダメなのである。本当に眺めるだけで終わる。そもそも世の中なんでも逆転裁判な結論ばかりだと思うのは人生最大の間違いである。

それでは、ジャンルを広げすぎてもキリがないし、フォルクローレの対極ともいえるシンセサイザーものに限定して話を進めよう。※3
(ちなみに各音盤に添えた星の多寡は、音盤の優劣とは関係ないのであしからず)。

※凡例
①アルバム単位でアンデスを描いたものが今回の対象である。だからS.E.N.Sの「シカン」など曲単位のものは含めていない。
② 実質的にチト河内のアルバムである「テクノカルカス」や瀬木貴将デビュー時のボリビア盤などは、あくまでボリビアのミュージシャンによる国内盤とみなし今回は含めていない。


1 電子音楽の黎明期
さて、シンセサイザーの全面導入が早かったのは何といっても西ドイツ。80年頃日本中を席巻したYMOだって、西ドイツのクラフトワークの影響下にあったことはもはや常識。この国では70年代初頭にはシンセサイザーの名盤が続々と登場している。


① POPOL VUH / Aguirre (1974?) german
ポポル・ヴー/アギーレ(神の怒り)

カルト的人気を誇るヘルツォーク監督の映画『アギーレ/神の怒り』(1972)。このアルバムはそのテーマ曲を中心に構成されたオリジナルアルバム。
映画の舞台はインカ帝国征服の8年後。征服者フランシスコ・ピサロの弟、ゴンサロによるエルドラド探検が描かれる。こうやってあらすじを説明するとインカ的キーワードが散らばるが、実は舞台はアンデスから降りてひたすらセルバ地帯のジャングルである。映画自体は狂気に満ちたクラウス・キンスキーの怪演ぶりが印象深い名作である。
この劇伴を担当したのがポポル・ヴー Popol Vuh。彼らの音楽性は最初期のみシンセサイザー。すぐにアコースティック指向へと面舵いっぱい。その分水嶺が恐らくコレ。
当アルバムは電子音楽とアコースティックなサイケフォークロックが両方収録されており、考えようによっては変質前と変質後の「ポポル・ヴーが全部」味わえるお得なアルバムだ。

さて、このアルバムにアンデス音楽の要素は見出せるだろうか。



鬼気迫る映画内容に反し、フローリアン・フリッケ Florian Fricke のモーグシンセサイザーはひたすらメディテーショナルなサウンドを紡ぐ。そうした手法が運命/残酷さ/悲しみ/無常感/狂気といったとても一言では表せない重層的な表現を可能にしているのだ。
特筆すべきは、彼のサウンドが1970〜72年当時の既存のシンセサイザーの使用方法と一線を画していた点だ。
シンセといえば「未来的な電子音」だった時代にフリッケは独特の透き通った内省的かつ宗教的世界を追求する。しかも、これはたしかにシンセサイザーでしか描き得ない音でもある。※4
ちなみに、後の「電子音楽」の一角を占めたメディテーション系音楽は全てフリッケの開発した世界観の延長に過ぎないといっても過言ではないだろう(ほぼ同時期にタンジェリン・ドリームも「エレクトリック・メディテーション」を発表しているらしいが筆者は未聴)。
厳密にいうとM-1のみは6分間余のシンセサイザー演奏の後にサンポーニャの無伴奏ソロが1分弱ほど付け加えられてはいる。「バリーチャ」 "Valicha"のメロディだ。ただしこれは味付け程度に効果音として加えられたものであり、ポポル・ヴーの音楽性とは関係がない。※5

ということで先のお題「アンデス音楽の要素はどの程度含まれるのか?」に対する答えは以下の通り。

メディテーショナルなクラウト・ロックというフロンティア開発真っ只中のポポル・ヴー。
既存のアンデス音楽的要素を混ぜ込む余地なんて当然ないのである。



【物語性】 ★★★★☆……静謐な独自世界
【アンデス音楽要素】☆☆☆☆☆……なし

さて、ロックの殿堂、英国でもELPの70年代前半の大活躍を嚆矢として、我も続けと70年代後半あたりからシンセサイザーをものにするミュージシャンが出てくる。果たしてアンデス音楽の要素はそこに見出せるだろうか。

(「外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(2)興隆期(70年代後半)」へ続く)


●注●

歌謡曲だのニューミュージックだのという分け方が意味をなくした90年頃には、CDショップに「J-pops」なんて新たなカテゴリが登場した。ビジュアル系、テクノ系ポップス、ジャニーズ系アイドル、イカ天バンド、スカバンド、みーんな「J-pops」におさまった。あらゆるメロディやスタイルは出尽くしたなどと大真面目に論じられた時代、細分化するポップミュージックを全て統合できる見事なカテゴライズだった。

日本では、アンデスやパンパあたりのルーツミュージックを「フォルクローレ」と呼んでいるが、アルゼンチンで刊行されていた専門誌のタイトルからそう呼ばれるようになったらしい。ボリビアでは「ムシカ・ナシオナル」と呼ばれている。

他のジャンルまで入れたら、それこそヴェルディの歌劇『運命の力』から、コミックソング「インカ帝国の誕生」、アニメ「超時空転生ナスカ」のサントラまでカバーしなくてはならなくなる。

余談だが、他のミュージシャンもこの手法に着手し始めると、フリッケは当時大変高価だったモーグをいとも簡単に売っ払っちゃうのである。これを購入したのが、元タンジェリン・ドリームのクラウス・シュルツェであるといわれる。
5
てっきり「さらばわがワイチョの村」”Adios Pueblo de Mi Huaycho”かと勘違いしていたが、オガさまよりご指摘いただき、訂正した(2021/7/1)。ご指摘いただき、ありがとうございます。

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この記事を書いた人: もち
歴史に関する仕事をしています。たまに頼まれてデザインや文章・編集などの仕事をしたりもします。
専攻は「アンデスの宗教変容」でしたが、最近興味があるのは16世紀頃から戦後まで、日本についてばかりです。考えてみれば、最近は洋菓子より和菓子です。

このサイトでは、フォルクローレなどアンデス諸国のさまざまな名盤を紹介したいと思います。

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2021年05月15日 (土) 04:30