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フォルクローレなど、アンデス諸国の名盤をご紹介するレビューです! 独断・偏見、何でもアリですのでご容赦を!

カルカスがフォルタレサとして再デビューした理由……ロス・ユラス

2019年07月24日
LOS YURAS 2

【Los Yuras / vol.2】 (1976)

l 1976年……ロック界最後の名盤ラッシュ
1976年(昭和51年) この年は、日本史上最大のヒット曲が誕生した年である。※1
ご存知、子門真人の「およげ ! たいやきくん」だ。前年の暮れも押し迫ったクリスマスに発売、大晦日までに30万枚を売って翌76年に大ヒット、現在までに500万枚以上を売上げた空前絶後のオバケ曲なのである。
ちなみにこの頃、私のまわりでは「超電磁ロボ コン・バトラーV」の影響でヨーヨーブームが到来。ヨーヨーを買ったお店で食べた肉まんが30〜50円くらいの頃の話だ。
「およげ!たいやきくん」収録のLPには「ホネホネ・ロック」(子門真人)なんて曲があったし、小林亜星の「コン・バトラーV」(水木一郎)は当然のようにエレキギターやドラム、シンセを配した編成がなされている。こうした状況をみれば、10年前には一般的にアウトサイダーだったロックが、当時すでに子供の耳にも聴きなれたものになっていたのが分かる。
実は今回のテーマ「1976年」は、ロック界にとっては記録的ヒット続出の年。
この年、エアロスミスの「ロックス」やボストンのデビューアルバム「幻想旅行」が驚異的なセールスを記録。さらにジェフ・ベック「ワイアード」、さらにイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」と史上名だたる名盤が続出。サンタナは「アミーゴ」で奇跡の復活。シングルカットされた「哀愁のヨーロッパ」は、ロックに興味がない方でもどこかで聴いたことがあるはずだ。
おそらくプログレッシブ・ロックから「シンセサイザー」だけが抽出されはじめたのもこの時期のことだ。当時のLPレコードのオビにはジャンル分類が記載されていたものだが、同一アーティストの作品であっても、アルバムによって「プログレッシブ・ロック」だったり、「シンセサイザー」だったり。ジャン・ミシェル・ジャールが「幻想惑星」を、富田勲は「惑星」を、ヴァンゲリスは「反射率0.39」という同テーマの傑作をそれぞれリリースしている。
つまりロック界はある意味ピーク期。終焉を迎える直前の輝きを放ち、一般社会にも充分浸透していた時期なのである。これからのお話はそんな時代背景を前提にしたお話。

l なぜカルカスは、デビューアルバムリリース直後に「カルカス」をやめたのか
カルカスが記念すべき1stアルバム「KJARKAS」をディスコ・エリバからリリースしたのは、この年のことだ。当然彼らの新しいサウンドも欧米のこうした動きと無縁なはずがない。後の2ndアルバム「KUTIMUY」ほどではないが、エレキギターを思わせるサンポーニャの炸裂ソロがいかにもカウンターロック的というべきか、ポストロック的というべきか。なかなか野心溢れるアルバムだったのである。
ところが、1stに続けて2ndアルバムを制作しようとした痕跡が翌77年に見受けられない。いや、77年どころの話ではない。カルカスが2ndアルバムでカウンターロック色をさらに強めたのは、この後、実に3年も経ってのことなのだ。※2

さらに不可解なのは、カルカスのメンバーが2ndアルバムも作らずに何をしていたのかという点だ。
なんと彼らはアルバムデビューの翌年、なぜか「フォルタレサFortaleza」と名義を変え、ディスコ・エリバではなくM&Sからアルバムリリースを始めるのだ。カルカスとは全く異なるサウンドコンセプトのアルバム、しかも2年連続である。※3
アーティストにとって最も大事な時期は1stから2ndアルバムまでの期間であるといっても過言ではない。すでに経歴のあるミュージシャンならともかく、まだ無名の連中がファンを獲得して活動を継続できるのかどうかは、大概この2作で決まる。この大切な時期を3年間も空けるというのは、どう考えても合点がいかない。


まあ、グルーポ・アイマラあたりもみな2ndまでの間隔が異様に長い。そう考えれば70年代にボリビアでレコードをリリースすることがいかに大変だったかということの証左ともいえる。カルカスの場合、もしかしたらエリバから相手にされず、バンド名を変更してM&Sで再デビューせざるを得なかった可能性もあるし、今でいうところのインディーズのように、レコードを出すのにカルカス側からの出資が必要だった可能性もある。単純に音楽性の違いからメンバーの主導権争いがあったとも考えられる。ただ、いずれにしても最初のアルバムさえヒットしていれば、すぐに次のアルバムの話は出ていたはず。1stアルバムがさほど話題にならなかったのは事実だろう。


では、なぜカルカスとして売り出さなくてはならない一番大切な時期にカルカスを封印してフォルタレサ名義でアルバムリリースをしたのだろうか。
l 70年代の世界的ニーズへの対応か
当初、私はぼんやりと「当時の世界的ニーズに応えたのだろう」と思っていた。
当時の世界的ニーズとは、もちろん「コンドルは飛んでいく」から始まったアレ、である。
ロス・インカスLos Incas の録音にサイモン&ガーファンクルが歌詞をつけて「コンドルは飛んでいく」を各国でヒットさせたのが1970年。その後、インカスのホルヘ・ミルチベルグJorge Milchberg が、サイモン&ガーファンクルのプロデュースを受けてウルバンバ Urbamba 名義で再起動を図ったのが73年。以来、70年代の日本やフランスといった海外マーケットで一般に求められたのは、ウルバンバの「コンドルは飛んでいく」に代表される落ち着いたインストなのだ。
してみると、「人気も出ないし、カウンターロック荒ぶるカルカスは1stだけで解散」「人気が出そうだから、我々もしっとり系サウンドのフォルタレサを結成しよう!」という解釈が一番わかりやすい。
l 本当に「世界的ニーズへの対応」だけで説明できるか
しかし、メンバーがカルカスをやめて一時フォルタレサにスイッチした原因を「インカス / ウルバンバが売れていたから」なんてありがちな理由に求めるのは、何となく納得できない点があったのも事実なのだ。
リリース年に着目してみよう。サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」リリースが70年。以降、フォルクローレというジャンルが海外で背負ってきた看板はあくまで「素朴な」「胸に沁みる」「ケーナの」音だったのだ。
これに対し、カルカスが1stアルバムで敢えてアタック音の効いたポストロックを目指したのは76年。すでに「コンドルは飛んで行く」のブームから6年も経っている。
つまり、カルカスのメンバー自身、自分たちのサウンドが当時の世界的ニーズから外れていることを承知していたはずなのだ。彼らは覚悟の上であえてポストロック/カウンターロック志向のデビューアルバムを世に問うたのだ。ところがその覚悟、1年間すら維持せずに静けさをウリにしたインスト中心の別バンドに突然の変更。あまりに堪え性がなさすぎないか。そりゃあ、腑に落ちないでしょ。「世界的ニーズ云々」という説明だけでは足りない気がするのだ。何か他にも理由があるのではないだろうか。

そこで一つ、楽しい妄想を提示したい。
ある一枚のレコードが、カルカスの活動を停止させちゃったという妄想である。

それこそがロス・ユラスLos Yuras の3rdアルバムである。

l このアルバムの世界観
当時の日本やフランスにおけるフォルクローレブームは、いわば「ケーナブーム」。ケーナがメロディを吹き、ギターやチャランゴが伴奏する、というのが当時の世界マーケットのスタンダード。
そんな中、ユラスの3rdアルバムは新しいサウンドを作ろうというチャレンジ精神に溢れている。確かに、ウルバンバ の「Sicuris」をカバーしているあたりからして、その影響下にはあるのだろう。それは間違いない。しかし、凡百のアルバムと違ってこのアルバム1曲1曲に見られる手間や凝った構成、静謐な音で統一された世界観、胸を打つメロディはなかなか光るものがある。

一例を挙げてみよう。
4曲目、「Ego Mitayo」。
イントロ、複数の人が歩くような重苦しいタップのリズムが浮かんで、そして消えていく(約18秒)。
そこにチャランゴとギターがインプロヴィゼーショナルなオーヴァーチュア(序曲)を奏でる。最初は哀愁漂うチャランゴのトレモロがリードするが、これを「運命」とでもいうべき音でギターが引き継いで一旦締める(約1分)。
ここで再度先ほどの重苦しいタップリズムが聴こえてくるが、今度は明確に「大勢の足音」と分かる(約30秒)。ここまででもう2分弱。この後ようやく本編に入るがもう既に残されたランニングタイムは2分15秒。
ここから本編のイントロが約25秒。ついに歌が始まるが、憂いを湛えたボーカルはわずか12秒で終わっちゃうのだ。
この後の間奏で大いに盛り上がるのだが、なんと2番を歌うのはボーカルではない。サンポーニャとケナーチョが静かに2番のメロディを歌いながらフェードアウトしていくのだ。

サンポーニャの裏に低音ケーナのケナーチョを配してベースとする妙味、ボンボ以外にも細かく入るパーカッション類の細やかさ、そして何よりも、聴き手に最初のリズムを「何かな?」と思わせて、労働のために移住しなければならないミターヨの哀しみや運命を描きあげてから、再度その足取りを聴かせる構成。当時の日本でリリースされていたアーティストを見渡してみてもなかなか見当たらない芸当である。


●Los Yuras / Ego Mitayo

ユラスを単に70年代特有の「素朴さ」が売りのバンドと見る向きもあるようだが、当時のペルーやアルゼンチンのスタンダードなレコードと聴き比べてほしい。もし、当時の日本で国内盤がリリースされていたら、月刊「中南米音楽(現 Latina)」あたりで大騒ぎになっていたであろうことは間違いない。不安感溢れる短調のスピードチューンからアルバムが始まっているあたりからして、バラエティに富んだアルバムであることの証だ※4
しかし、その多様性にもかかわらず、全体としてどの曲もゆったりとした印象を聴き手に与える。静謐かつ憂いを帯びた世界観を持った傑作なのだ。

長々とこのアルバムの素晴らしさを語ってしまったが、実はこのアルバム、76年作なのである。
もしかしたら、同じ年に1stアルバムをリリースしたカルカスは、このアルバムにノックアウトされて、カルカスの活動を一旦止めたのではないか。そう妄想すると、とても楽しい。翌年、ユラスの影響下、フォルタレサと名前を変えたカルカスが、静謐かつ憂いを帯びたアルバムを出したとしたらどうだろう。もちろん、「単なる偶然の一致」という声もあるだろう。しかし、次の点はどう説明したら良いだろうか。「偶然の一致」で済ませてよいだろうか。

l ギロの使い方
ユラスとフォルタレサのパーカッション使用法についてである。
ユラスのパーカッションが地味ながらそれなりに凝っているのは、リーダーのルイス・アルベルト・アリアスがボーカル兼パーカッショ二ストという位置付けだからだろう。※5
ユラスのこのアルバムではギロを珍しい奏法で使用している。通常、ラテン音楽全般で聴かれるギロは、本体の刻み目にスティックをこすりつけて往復させることでリズムを生む。ボリビアのフォルクローレでも、同様の方法でサヤ、カポラルなどの演奏に使用する。
だが、ユラスは2曲目の「Yugo Inca」で、ギロのスティックをきわめてゆっくりと一方向に流している。往復はさせない。静謐な悲しみを湛えた効果音として使うのだ。
そもそも、ボリビアフォルクローレで、アフロ系やセルバ系のリズム以外にギロを使用すること自体が珍しいと思うのだが、何と翌年発表されたフォルタレサのアルバム「Fortareza vol.2」の3曲目「Procescion」でもユラス同様の手法・演奏法でギロを使用しているのだ。この曲、カルカスと同一のメンバーが作ったとは思えないほど静謐さを湛えたナンバーで、いかにもフォルタレサ/カルカスの面目躍如といえる傑作なのだが、果たしてこのギロの使用方法は、単に偶然の一致と言えるのだろうか。
ボリビア音楽におけるギロの効果音的使用法に関して、他に同様の用例があるのか寡聞にして知らない。少なくとも、浅学な私が覚えている限りにおいては、ギロをこのような奏法で使用しているケースはこの2例だけだ(あったら恥ずかしいね)。
だとすれば、そのわずか2例が、かたや76年、かたや78年発表というのはなかなか示唆に富んでいるのでないだろうか。


【注】
1.
この年にデビューしたピンク・レディーは、「ペッパー警部」がヒット。ちなみにピンク・レディーは小学生になったばかりの私のお嫁さん候補だった。本命はミーだったが、埼玉の6歳児としてはミー、ケイともに二人を侍らせる予定だった。
2.
2ndアルバム発売以降(コンポーザーやライターを担当していたウリセスが没する90年代初頭まで)、カルカスはほぼ毎年1枚のペースでオリジナル・アルバムをリリースしており、企画盤も含めると年間4枚以上のアルバムがリリースされることさえあった。
3.
フォルタレサ Fortaleza は、砦を意味するスペイン語。一方、カルカス Kjarkas もケチュア語で砦(特にセルバ地帯の異民族との砦)を意味する。メンバーの言では、動詞では揺さぶる、恐怖させるとの意味も含むという。流入する欧米のロック・ポップスに対抗する砦との意味を込めて名付けたられたらしい(「オーラ!!アミーゴス」No.1 1982年 8月号)。フォルタレサの黒盤と白盤リリースから2年後、カルカスの2ndアルバムが登場、タイトルナンバー「クティムイ Kutimuy」が国内で小ヒットし、カルカスは後の伝説的カリスマバンドとしての地盤を少しずつ固めながら歩いていくことになる。一方、「わが故郷の女たちへ」リリース直前にカルカスを脱退したラミーロ・デラ・セルダ(「プル・ルナス」の作者として有名)がフォルタレサを引き継いでいる。
4.
そもそも、この辺もウルバンバの73年盤が影響したのではないかと思われる。このスピードチューンの配置に限らず、ユラスの他アルバム全体を見渡してみても、このアルバムの静謐な世界観は特筆すべきものであり、明らかに他のアルバムとは傾向が違う。
5.
ユラスは一応グループのような売り方をしているが、実態はグループというよりは、ルイス・アルベルト・アリアスがその時々にメンバーを募って録音を行うプロジェクトといったほうが正確。つまり、アルバムによってほとんどメンバーが入れ替わるのだ。同年にリリースされた3rdアルバムでは、ビエントスにライセス・デ・アメリカのアドリアン・アルキパ・ペレスとビクトル・フローレス、チャランゴはルスミラ・カルピオのバッキングにも参加しているエルネスト・フェリシアノ。ところが、本盤ではビエントスをコカやボリビアマンタ、ルーパイに参加したラウル・チャコン、ルミリャフタやマリュク・デ・ロス・アンデス、ハチャ・マリュクのエドウィン・ロウェルトが担当。チャランゴはルミリャフタのホルヘ・ラウラと、全くメンバーが違う。そうしてみると、後のマリュク・デ・ロス・アンデスやルミリャフタの世界観も、すべてこの一枚から始まるのかと得心するところがある。



【アルバム・データ】
<LP>
"Los Yuras / vol.2" (1976)
M&S Records LPMS-014 (BOLIVIA)

01. SAN JUAN
02. YUGO INCA
03. SONARÁ KANTUTA
04. EGO MITAYO
05. HILANDERITA
06. PASTEÁNDO
07. EL SICURI
08. WILA AMAYA
09. VALLE Y MONTAÑA
10. POCOATEÑA
11. IMILLA

●CD化はされていない(ただし2 in 1 CDはリリースされている。ただし、これも復刻版ではない。2枚のアルバムを混ぜて曲順をグチャグチャにしており、何のためのそのようなことをしているのか相変わらず意味不明)。

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もち
この記事を書いた人: もち
歴史に関する仕事をしています。たまに頼まれてデザインや文章・編集などの仕事をしたりもします。
専攻は「アンデスの宗教変容」でしたが、最近興味があるのは16世紀頃から戦後まで、日本についてばかりです。考えてみれば、最近は洋菓子より和菓子です。

このサイトでは、フォルクローレなどアンデス諸国のさまざまな名盤を紹介したいと思います。

コメント2件

コメントはまだありません

通りすがり

妄想炸裂の楽しい分析ですね。
しかし確かにそうかもと思わされてしまいました。私も筆者様がお持ちのような、幅広い知識を身につけて色々考えたいと思います。

2020年07月26日 (日) 04:51

もち

タイトルなし

この妄想、ギロの偶然に気付いたときはかなりワクワクしちゃいました。
私自身は決して知識があるわけではありませんが、今回の件は面白いことに気づいたなーと誰かにシェアしたかった話なのでお褒めいただくと素直に嬉しいです!ありがとうございました!

2020年08月15日 (土) 01:17