ツェッペリンが変えるアンデス音楽史……デル・プエブロ・デル・バリオ
2017年12月08日

デル・プエブロ・デル・バリオ
【del Pueblo … del Barrio】(1985)
l ペルーフュージョンロック史上の名盤
さかのぼると、80年代は世界的なフュージョン・ブーム。これを受け、ボリビアでも数は多くないにしても「フシオン」と分類される先駆的バンドがあらわれる。コンラヤKhonlaya やアルティプラーノAltiplanoなどがその一例。※1
しかし、後進のフシオンバンドにある程度の影響を与えたのは、実はペルーのフュージョンロックバンドなのではないか。このバンドの85年の傑作デビューアルバムこそが、90年代ボリビアのフシオン・ブームの一端を担っている、と私は推測している。デル・プエブロ・デル・バリオ del pueblo … del barrio。とにかくこのアルバム、ペルーロック史上に燦然と輝く名盤であることは間違いない。
とはいっても、デル・プエブロ・デル・バリオのサウンドでは、エレキギターやドラムといった楽器の印象が極めて薄い。ギターにいたってはエレキですらない。普通のナイロン・ガットだ。
じゃあ、何が聴こえてくるかと言えば、ベースだ。つまり、基本的に「アンデス楽器にエレキベースが絡む」というサウンドなのだ。曲によってはカホンが前面に立っていたりするが、中でもチャランゴとベースだけが際立って前面に出てくる。ドラムンベースならぬ「チャランベース」とでも名付けようじゃないか。チャランゴの高音とベースの低音がバンド全体を引き締める。当時のペルーでは「メスティソサウンド」などと呼ばれたようである。 ※2
l 「メスティソサウンド」はどこから来たのか?
ところで、この「メスティソサウンド」はどうやって生まれたのか。
手がかりは2つだ。
1つ目。このアルバムの白眉、「Escalera Al Infierno(地獄への階段)」である。タイトルを見ただけでわかる通り、この曲、明らかにレッド・ツェッペリン Led Zeppelinの名曲「天国への階段 Stairway to Heaven」がモチーフになっている。
●del Pueblo … del Barrio “Escalera Al Infierno“
トラッドな志向を強めていた「III」以降のツェッペリンに、「デル・プエブロ」というバンド自体が大きな影響を受けていたと思われる。 ※3
さらに、2つ目の手がかり。ラウル・ペレイラの楽曲「Orgullo Aymara」が収録されている点だ。ラウル・ペレイラは以前紹介したペルーのサイケロックバンド、エル・ポレン El Polenのリーダー。フォルクローレとサイケデリックロックをフュージョンした先輩格、ポレンの影響も当然見逃すわけにはいかない。
70年代にトラッドとロックの融合を試みた内外の先行バンドを継承し、80年代に花開かせたのがデル・プエブロ・デル・バリオなのだ。
……以上を整理すると、
(1)「天国への階段」を収録した「Led ZeppelinIV」発表が、71年。ポレンのアルバム「Fuera de la Ciudad」は73年。
(2)いつもの「10年遅れ理論」で、影響を受けた「地獄への階段」が85年に登場。
(3)そして、このアルバムの影響を受けて90年代フシオンムーブメントが起こった、と私はにらんでいる。
l 彼らがブリティッシュロックに影響されたのは分かったけれど……
なるほど、彼らがツェッペリンやポレンの影響下にあるのはわかった。でもペルーのアルバムが、ボリビアのフシオンに影響を与えたのかは疑問、と思われるかもしれない。では、実際にこのアルバムの曲を聴いてみようじゃないか。
●del Pueblo … del Barrio “Juves de Oton~o”
ほら、どこかで聴いたことがないか?
そう、ハチャ・マリュク Jach'a Mallkuの「オハ・デ・オトーニョ “Hoja de otoño”」なのである。ハチャ・マリュクの91年のLPでは、伝承曲(作者不明)となっている。これ、確信犯だよね。
じゃあ、この曲はいかが。
●del Pueblo … del Barrio “Orgullo Aymara”
ほら、これもどこかで聴いたことがないかな?
オスカル・コルドバ率いるフシオンバンド、アンデ・ソルAnde Sol が97年にリリースした「トゥニ・クントゥリリ」「tuni kunturiri」。このアルバムのオープニング曲だった「オルグーリョ・アイマラOrgullo Aymara」もこのアルバムからのカバーなのだ ※4。
この1枚のアルバムは、いわば一つの到達点であるのと同時に、70年代英国から90年代ボリビアへの橋梁であったともいえるのではないか。
【注】
※1
「フシオン」とは「フュージョン」のスペイン語読み。もっとも、アンデス音楽における「フシオン」は、チャランゴ のインプロヴィゼーション的伴奏やクロマティックスケールを多用したアレンジなど、アンデス音楽の洗練化・グローバル化ともいえる形態を目指していたのは事実だが、フュージョンをやろうとして最終的には違う定義の音楽になってしまった気がする。
78年にはソル・シミエンテ・スール Sol Simiente Surの唯一作、アルティプラーノ Altiplanoの1st、85年には新生ルス・デル・アンデ Luz del Andeの1st、アルティプラーノの2ndがリリース、86年にコンラヤKhonlayaの唯一作、プログレッシブ・ロックバンドとしてスタートしたワラWaraも、80年代にフュージョン寄りにシフトするなど、フシオンの動きが90年代より前にもあったのは紛れもない事実である。しかし、80年代のメインストリームは、やはり爆発的に普及したカルカス・スタイルだった。
※2
メスティソという言葉、日本の高校地理や世界史の教科書では「白人とインディオとの混血」と記載されている。ところが、ペルーで豊富なフィールドワークを積み重ねた山本紀之氏の著作を読むと、現地ではむしろ人種的分類というよりも文化的分類として使われることが多いらしい。
※3
デル・プエブロ・デル・バリオのリーダー、リカルド・シルビアは、「デル・プエブロ」というバンドに(恐らく82年あたりから)参加していた。
「デル・プエブロ」とは、ピエロ・ブストスとホルヘ・アコスタによって81年に結成されたバンドで、今回紹介したバンドとは別のバンドである。しかし、83年、リカルドがメンバーに相談なく「コルディエラ・ネグラ」という同趣向のバンドを結成。このことが原因で彼はデル・プエブロを放逐された。その後、一時復帰するも、またもや85年に解雇されている。2度目の脱退の際、リカルドは新たに「デル・プエブロ・デル・バリオ」を立ち上げ、このアルバムをリリースした。実は、最大のヒット作「地獄への階段」も「グレゴリオ」も「ポセシバ・デ・ミ」も、本来は「デル・プエブロ」のナンバーなのである。しかも、それぞれの作者であるメンバーに許可なくレコーディングしてしまったという。また、「オルグーリョ・アイマラ」はエル・ポレンのカバー曲だが、これも当時、本家ポレンによるレコーディングはなく、ラウル・ペレイラの許可なく録音したらしい。ところが、デル・プエブロ・デル・バリオは、このアルバムでペルーロック史に残る評価と名声を得、海外ツアーまで行った。本家デル・プエブロはアルバムをまだリリースしていなかったため、このアルバムの大ヒットによって本家の存在は亜流となってしまい、 両者の対立は決定的なものになった。
※4
「オルグーリョ・アイマラ(アイマラの誇り)」は、20世紀初頭に活躍したペルーの詩人ダンテ・ナバのインディへニスモ溢れる詩にエル・ポレンのラウル・ペレイラが曲をつけた作品。ポレンがこれを初めてリリースしたのはバンド再起動直後の1998年。なんとボリビアのアンデ・ソルによる97年版カバーの方がまだ早いのだ。つまり、この曲は1985年以来、13年にわたってデル・プエブロ・デル・バリオのアルバムこそが唯一の「正典」だったことになる。
※4
実はデル・プエブロ・デル・バリオは来日していた可能性がある。2015年、東出五國氏率いるシンコ・パイスのライブをお手伝いしたときのことだ。藤原浩司氏がお持ちのチャランゴに目を奪われた。「ディズニーシーで演奏していたペルー人から譲り受けた」というそのチャランゴには以下のようなサインが入っていたのである。興奮しましたよ。
Del Pueblo y del Barrio
David (Salas) ←読めない

【アルバム・データ】
<LP>
del Pueblo … del Barrio(1985)
CBS Records (Peru)
01 Orgullo Aymara
02 Posesiva De Mi
03 Desde Siempre
04 Gregorio
05 Subida A Marcahuasi
06 Escalera Al Infierno
07 A Papa
08 Jueves de Otoño
09 Señora
10 Viajero Terrestre
●発売当時の日本には全く輸入されなかったようで、国内では入手不可。
●私もその存在を知ってから8年間にわたって探し続け、2016年にようやくブラジルのサイトから購入した次第。スペイン語圏の中古レコードオークションサイトには出品されることがあるようなので、スペイン語が堪能な方はチャレンジしてみては。
●残念ながら2017年の段階ではCDリイシューもされていないようだ。
