【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(6) 衰退期(90年代)②
【column】外国製シンセサイザーミュージックはアンデスを受け入れたか(6)
衰退期(90年代)②
特別企画もいよいよ最終回。
前回は「シンセサイザー」というジャンル名がもはや消滅してしまった90年代前半、デジタルではなくあえて旧式のアナログシンセサイザーを駆使して70年代プログレに回帰しようとするイタリアのシンドーネのケースをみた。このようなケースがそれなりにウケるくらい価値観の多様化が始まった時代なのだよーという内容だった。
今回取り上げる作品は同じ90年代のもの。
アンデスをテーマにしたシンセサイザー作品としてはおそらく最後のものと思われる。
6 電子音楽の衰退期②
さて、ここで最後の一枚に触れる前にこれまでの内容をざっと振り返ってみよう。
(1) 70年代のシンセサイザー奏者(ポポル・ヴーやエイドリアン・ワグナー)はアンデスを題材にしても、アンデス音楽そのものをモティーフとして扱うことはなかった。これはやはり電子音楽そのものの確立に力を注ぐ必要があったからだろう。
(2) 一方、80年代のクスコやアタウアルパはアンデス音楽へのアプローチを強く押し出すことで、急増する他のシンセサイザー音楽との差別化を図っている。その点が70年代のポポル・ヴーやワグナーとの大きな違いだ。
(3) 80年代末から90年代初めになるとシンセサイザーというジャンルそのものが消滅。音楽界全般では「全てのメロディは出し尽くされた」「欧米音楽の行き詰まり」などといった論が盛んに言われるようになる。そこで世界的にも新しいタイプの音楽が模索され、市場にさまざまな音楽が並ぶようになる。そうした音楽の中には70年代サウンドへの回帰を目指すシンドーネのような懐古ファンも登場。その内容は多岐に渡った。
一方、この90年代初頭には各国のルーツ音楽が「ワールドミュージック」として注目されるようになった点は見逃せない。
エンヤ、ブルガリアン・ポリフォニー、ジプシーキングス、カオマ……前回取り上げたアタウアルパもかかる文脈で登場したものと考えてあながち間違いではない。
ミュージシャンや音楽産業の仕掛け人たちが世界中の音楽に着目しはじめるなか、シンセサイザー界開闢以来の大御所がついにアンデスをテーマに選んだ。最後にこの盤を取り上げて筆を置きたい。

⑥鼓童with冨田勲『ナスカ幻想』(1994)日本
1970年代初頭、Moog lll を導入してクラシック音楽の再解釈を行い、国内はもちろん、むしろ海外で熱狂的に評価された「世界のトミタ」である。世界的に衝撃を与え続けた冨田サウンドも、実のところ90年代になると「過去のもの」という雰囲気が間違いなく存在したように思う。
当時、シンセサイザーの手法はハウス、ユーロビート、テクノ、エレクトロニカ、アンビエントと多岐にわたるようになり、シンセサイザーでなければ描き得ないさまざまな音楽性を提示していた。
そのような中、冨田はシンセサイザーをどのように利用していたのか。
彼は80年代からシンセサイザー群を楽団に見立てた「プラズマ・シンフォニー・オーケストラ」を自称するようになる。機器一台一台にヴァイオリンやファゴットなどの担当を課し、管弦楽団に擬したのだ。
しかし従来の生オーケストラを真似ることは、かえって生オケに比べて奥行きのない平板な印象を聴き手に与えかねない。もっといえば、この当時、電気信号による音楽は市場に飽和し、エリック・クラプトンの「アンプラグド」(1992)に代表されるようにアコースティックな音にこそ価値を求めるような気分も生まれていた。
「どんな音でも真似できる」ことを謳ったPCMデジタルシンセサイザーの普及は、聴衆の感覚に電気信号へのフェイク感を芽生えさせ、かえって冨田の独自のオーケストラ志向にとってはありがたくない時代だったはずだ。
しかし、晩年彼の音楽は(ドナウ河あたりにピラミッドを飛ばしていた時代ほどではないが)「源氏物語幻想交響絵巻」「イーハトーヴ交響曲」などの精力的な活動で大復活を遂げ、再評価されている。ことに改訂を重ねた「源氏物語幻想交響絵巻」は雅楽とオーケストラ、シンセサイザーが融合した大曲である。
しばらく純粋な生オーケストラの仕事が続いていた冨田がシンセサイザー作家として復活するきっかけは何だったのか。
そのヒントはアンデスを舞台にした『ナスカ幻想』(1994)にあると筆者はにらんでいる。
このアルバムは、ケーナやサンポーニャをペルーのクシヤクタKusillaqtaが、和太鼓やチャッパなどのパーカッションを佐渡の鼓童が担当した鼓童名義の作品だ(正確には「鼓童 with 冨田勲」)。もっともその音楽性は、作曲・アレンジ・プロデュースを行った冨田に帰すため、実質的に冨田のオリジナル・アルバムであると断じてよい。
では世間でどう評されているかといえば、正当な評価があまりされていないアルバムであることも確かだ。原因は簡単、「鼓童名義のアルバム」だからだろう。そもそも、このアルバムに和太鼓のダイナミズムを期待しない人がいるだろうか。当時、鼓童や鬼太鼓座の公演に頻繁に足を運び、アルバムも揃えていた筆者もその1人だった。プレイボタンを押せばスピーカーから溢れる太鼓の生音。ところが、これに負けじとシンセサイザーがしっかりと絡む。太鼓がダイナミズムに溢れるほど、電子音によるフェイク・オーケストラも負けじと音量を上げてくる。やたらメロが主役に立ち、太鼓が脇に回る曲が多い。太鼓のCDを買った人ががっかりするのも仕方がない。
ところがしかし、である。
聴き方次第なのだ。
「冨田勲の」、いや「シンセサイザーのアルバム」として聴くと、俄然革命的なアルバムとなる。
●鼓童with冨田勲/巨大な幾何学模様
鼓童によるダイナミック・レンジギリギリの和太鼓、クシヤクタの空気を裂くようなケーナ、そして地を震わすような低音のトヨス。プラズマ・シンフォニー・オーケストラのような手法だけでは不足していた奥行きや空気感がそこにある。
鼓童という太鼓集団はアルバム制作にあたって、マンネリ化を避けるために外部のプロデュースを依頼することが意外と多い。冨田勲はそうした理由から鼓童のアルバムの刺激剤として登用されたのだが、これが冨田勲自身の創作にとっても大きな転機になる。この手法を使えば、まだまだ冨田のシンセサイザーアレンジが通用することに彼自身が気付いたのではないだろうか。
この後、雅楽やオーケストラなどの生音とシンセサイザーを組み合わせて演奏する大作「源氏物語幻想交響絵巻」や「イーハトーヴ交響曲」などの融合作をリリースしていくようになるのだ。
和太鼓のアルバムの「お約束」、オープニングは長胴太鼓の勇壮さをメインに押し出すことが多いのだが、いきなりクシヤクタのトヨスが絡みまくって迫力満点。M-3はフォルクローレのスタンダード・ナンバー「花祭り」”El Humahuaqueno” 。鼓童がお囃子で盛り上がっているところにクシヤクタのケーナが参入、ついで冨田のシンセサイザーが絡んでいきなりスペイシーなお囃子空間という前代未聞な「花祭り」なのである。M-5ではヴィラ・ロボスのプラズマ・オーケストラアレンジでガンガン電子音を鳴らしておいて、M-6はケーナのまるで能管のような力強さ、アコースティックの凄みを徹底的に聴かせるという構成は実に効果的。
●鼓童with冨田勲/大地の恵み ……上記M-5のナンバー。ヴィラ・ロボス「ブラジル風バッハ第2番」が核になっている。
●鼓童with冨田勲/アンデスにこだまする霊音 ……上記M-6。
世界観は一連の冨田勲の過去作と同じ「宇宙」をテーマにしながら、アンデス楽器の特性をよく理解してアレンジするあたりは、アタウアルパには出来なかった芸当である。
イタリアのDFCがアタウアルパではフォルクローレメンバーに主導権を握らせているにも関わらず、あまりフォルクローレに力強さは感じないのに対し、『ナスカ幻想』はあくまで冨田勲の音楽ながら、アンデスの楽器(主にビエントス)の凄みに着目したアレンジを施し、それにクシヤクタがしっかりと応えているのが素晴らしい。
音楽構造はフォルクローレではないにしてもアンデス音楽の要素が冨田勲の音楽に普遍性を与えた実に優れた「シンセサイザー」のアルバムである。※1
【物語性】……★★★★★
冨田勲名義の電子音楽アルバムや野外ライブ(サウンド・クラウド)」に一貫していた世界観が描かれる
【アンデス音楽要素】……★★★★☆
あくまでケーナ、サンポーニャなど、アコースティックな楽器の凄みに着目したアレンジ。また、鼓童の太鼓を中心にすえた「花祭り」もなかなか面白い
さて、冨田勲のアルバムで締めることになった本稿だが、そもそも冨田勲は70年代シンセサイザー開拓世代である。当然、アンデス音楽とその隆盛を知っている世代、もしくはアンデス音楽に興味のある世代なのだ。
では一方で、それより若い音楽関係者を巡る環境はいかばかりか。
2020年代現在、DTMソフトや関連機器の普及によって、いまや高校生や主婦でも一人で自由に音楽制作することができるようになった。
しかし、いかに宅録人口が増加しようが、アンデス音楽をテーマに据えたアルバムはもうこの先はないだろう。
なぜなら、現状で「アンデス音楽」「フォルクローレ」「コンドルは飛んでいく」と聞いて、そのサウンドをイメージできる世代は中年以上に限られているからだ。これはおそらく世界中で共通した現象である。
第一、70年代のブームのときに日本に紹介された「フォルクローレ」と2020年代の「フォルクローレ」は同じ音楽とは思えないほどの乖離がある。かつて日本やフランスで人気があったからといって、現在の「フォルクローレ」も世界中の大衆に訴求するものをもった音楽かというとかなり苦しい。※2
とすれば、現在だけでなく、おそらくこれから先も「アンデス音楽」と聞いても誰もイメージを描けないのではないか。
だから、世界の若手音楽家がアンデス音楽をテーマにアルバム作成するなんてことは考えにくいのだ。
今日まで6回の連載で、電子音楽勃興紀から「アンデス音楽が世界の電子音楽シーンに影響を与えたか」を見てきたが、答えはやはり「否」と言わざるを得ないだろう。80年代のクスコやアタウアルパの動きが他のミュージシャンに広がることはなかったし、90年代には事実上メインストリームの俎上には全く上がってこなかった。
過去にも、そしてこれからも影響を与えるということはないのだろう。
しかし、だ。
電子音楽の開拓者/世界のカリスマともいえる冨田勲が電子音楽に返り咲いた一端をこのアルバムが-----アンデス音楽が------担っていたとすれば、これほど素敵なことはないではないか。
●注●
1
M-5 "Dansa from "Bachianas Brasileiras No. 2" は、ヴィラ・ロボスをクシヤクタのアウトクトナでサンドイッチ、聴き終わった後、アンデス音楽を聴いた気分にさせるという力技。ワラWARAがユーライア・ヒープをコピーした際のお馴染みの手法である。
2
70年代のフォルクローレが世界でヒットしたのには、明らかにその時代を背景とした理由がある。ことにフランスでは英米のロックに対するアンチテーゼ的な意味合いがあっただろうし、日本ではそれに加えて、ペンタトニック音階の懐かしさ・素朴さへの共感があったに違いない。しかし80年代の社会とフォルクローレとではあきらかに水が合わなかった。4畳半フォークが消えていったのと理由は大して変わらない。
2010年代以降のボリビアのフォルクローレは楽器こそチャランゴやサンポーニャを使っているが、実態はチチャやテクノクンビアのノリやスタイルを模倣したものになっており、世界的に新たな聴衆を得ることかなり難しいだろう。アルゼンチンのフォルクローレは、「ラプラタ周辺の音楽」などと形容されるものが、一部の日本のオーディエンスの評価を受けている。これは徹底的に土臭さを抜き、オーガニックかつ洗練された特徴をもつ。これも相当の音楽好きの間では受けるだろうが、世界的な支持は受けにくいだろう。
衰退期(90年代)②
特別企画もいよいよ最終回。
前回は「シンセサイザー」というジャンル名がもはや消滅してしまった90年代前半、デジタルではなくあえて旧式のアナログシンセサイザーを駆使して70年代プログレに回帰しようとするイタリアのシンドーネのケースをみた。このようなケースがそれなりにウケるくらい価値観の多様化が始まった時代なのだよーという内容だった。
今回取り上げる作品は同じ90年代のもの。
アンデスをテーマにしたシンセサイザー作品としてはおそらく最後のものと思われる。
6 電子音楽の衰退期②
さて、ここで最後の一枚に触れる前にこれまでの内容をざっと振り返ってみよう。
(1) 70年代のシンセサイザー奏者(ポポル・ヴーやエイドリアン・ワグナー)はアンデスを題材にしても、アンデス音楽そのものをモティーフとして扱うことはなかった。これはやはり電子音楽そのものの確立に力を注ぐ必要があったからだろう。
(2) 一方、80年代のクスコやアタウアルパはアンデス音楽へのアプローチを強く押し出すことで、急増する他のシンセサイザー音楽との差別化を図っている。その点が70年代のポポル・ヴーやワグナーとの大きな違いだ。
(3) 80年代末から90年代初めになるとシンセサイザーというジャンルそのものが消滅。音楽界全般では「全てのメロディは出し尽くされた」「欧米音楽の行き詰まり」などといった論が盛んに言われるようになる。そこで世界的にも新しいタイプの音楽が模索され、市場にさまざまな音楽が並ぶようになる。そうした音楽の中には70年代サウンドへの回帰を目指すシンドーネのような懐古ファンも登場。その内容は多岐に渡った。
一方、この90年代初頭には各国のルーツ音楽が「ワールドミュージック」として注目されるようになった点は見逃せない。
エンヤ、ブルガリアン・ポリフォニー、ジプシーキングス、カオマ……前回取り上げたアタウアルパもかかる文脈で登場したものと考えてあながち間違いではない。
ミュージシャンや音楽産業の仕掛け人たちが世界中の音楽に着目しはじめるなか、シンセサイザー界開闢以来の大御所がついにアンデスをテーマに選んだ。最後にこの盤を取り上げて筆を置きたい。

⑥鼓童with冨田勲『ナスカ幻想』(1994)日本
1970年代初頭、Moog lll を導入してクラシック音楽の再解釈を行い、国内はもちろん、むしろ海外で熱狂的に評価された「世界のトミタ」である。世界的に衝撃を与え続けた冨田サウンドも、実のところ90年代になると「過去のもの」という雰囲気が間違いなく存在したように思う。
当時、シンセサイザーの手法はハウス、ユーロビート、テクノ、エレクトロニカ、アンビエントと多岐にわたるようになり、シンセサイザーでなければ描き得ないさまざまな音楽性を提示していた。
そのような中、冨田はシンセサイザーをどのように利用していたのか。
彼は80年代からシンセサイザー群を楽団に見立てた「プラズマ・シンフォニー・オーケストラ」を自称するようになる。機器一台一台にヴァイオリンやファゴットなどの担当を課し、管弦楽団に擬したのだ。
しかし従来の生オーケストラを真似ることは、かえって生オケに比べて奥行きのない平板な印象を聴き手に与えかねない。もっといえば、この当時、電気信号による音楽は市場に飽和し、エリック・クラプトンの「アンプラグド」(1992)に代表されるようにアコースティックな音にこそ価値を求めるような気分も生まれていた。
「どんな音でも真似できる」ことを謳ったPCMデジタルシンセサイザーの普及は、聴衆の感覚に電気信号へのフェイク感を芽生えさせ、かえって冨田の独自のオーケストラ志向にとってはありがたくない時代だったはずだ。
しかし、晩年彼の音楽は(ドナウ河あたりにピラミッドを飛ばしていた時代ほどではないが)「源氏物語幻想交響絵巻」「イーハトーヴ交響曲」などの精力的な活動で大復活を遂げ、再評価されている。ことに改訂を重ねた「源氏物語幻想交響絵巻」は雅楽とオーケストラ、シンセサイザーが融合した大曲である。
しばらく純粋な生オーケストラの仕事が続いていた冨田がシンセサイザー作家として復活するきっかけは何だったのか。
そのヒントはアンデスを舞台にした『ナスカ幻想』(1994)にあると筆者はにらんでいる。
このアルバムは、ケーナやサンポーニャをペルーのクシヤクタKusillaqtaが、和太鼓やチャッパなどのパーカッションを佐渡の鼓童が担当した鼓童名義の作品だ(正確には「鼓童 with 冨田勲」)。もっともその音楽性は、作曲・アレンジ・プロデュースを行った冨田に帰すため、実質的に冨田のオリジナル・アルバムであると断じてよい。
では世間でどう評されているかといえば、正当な評価があまりされていないアルバムであることも確かだ。原因は簡単、「鼓童名義のアルバム」だからだろう。そもそも、このアルバムに和太鼓のダイナミズムを期待しない人がいるだろうか。当時、鼓童や鬼太鼓座の公演に頻繁に足を運び、アルバムも揃えていた筆者もその1人だった。プレイボタンを押せばスピーカーから溢れる太鼓の生音。ところが、これに負けじとシンセサイザーがしっかりと絡む。太鼓がダイナミズムに溢れるほど、電子音によるフェイク・オーケストラも負けじと音量を上げてくる。やたらメロが主役に立ち、太鼓が脇に回る曲が多い。太鼓のCDを買った人ががっかりするのも仕方がない。
ところがしかし、である。
聴き方次第なのだ。
「冨田勲の」、いや「シンセサイザーのアルバム」として聴くと、俄然革命的なアルバムとなる。
●鼓童with冨田勲/巨大な幾何学模様
鼓童によるダイナミック・レンジギリギリの和太鼓、クシヤクタの空気を裂くようなケーナ、そして地を震わすような低音のトヨス。プラズマ・シンフォニー・オーケストラのような手法だけでは不足していた奥行きや空気感がそこにある。
鼓童という太鼓集団はアルバム制作にあたって、マンネリ化を避けるために外部のプロデュースを依頼することが意外と多い。冨田勲はそうした理由から鼓童のアルバムの刺激剤として登用されたのだが、これが冨田勲自身の創作にとっても大きな転機になる。この手法を使えば、まだまだ冨田のシンセサイザーアレンジが通用することに彼自身が気付いたのではないだろうか。
この後、雅楽やオーケストラなどの生音とシンセサイザーを組み合わせて演奏する大作「源氏物語幻想交響絵巻」や「イーハトーヴ交響曲」などの融合作をリリースしていくようになるのだ。
和太鼓のアルバムの「お約束」、オープニングは長胴太鼓の勇壮さをメインに押し出すことが多いのだが、いきなりクシヤクタのトヨスが絡みまくって迫力満点。M-3はフォルクローレのスタンダード・ナンバー「花祭り」”El Humahuaqueno” 。鼓童がお囃子で盛り上がっているところにクシヤクタのケーナが参入、ついで冨田のシンセサイザーが絡んでいきなりスペイシーなお囃子空間という前代未聞な「花祭り」なのである。M-5ではヴィラ・ロボスのプラズマ・オーケストラアレンジでガンガン電子音を鳴らしておいて、M-6はケーナのまるで能管のような力強さ、アコースティックの凄みを徹底的に聴かせるという構成は実に効果的。
●鼓童with冨田勲/大地の恵み ……上記M-5のナンバー。ヴィラ・ロボス「ブラジル風バッハ第2番」が核になっている。
●鼓童with冨田勲/アンデスにこだまする霊音 ……上記M-6。
世界観は一連の冨田勲の過去作と同じ「宇宙」をテーマにしながら、アンデス楽器の特性をよく理解してアレンジするあたりは、アタウアルパには出来なかった芸当である。
イタリアのDFCがアタウアルパではフォルクローレメンバーに主導権を握らせているにも関わらず、あまりフォルクローレに力強さは感じないのに対し、『ナスカ幻想』はあくまで冨田勲の音楽ながら、アンデスの楽器(主にビエントス)の凄みに着目したアレンジを施し、それにクシヤクタがしっかりと応えているのが素晴らしい。
音楽構造はフォルクローレではないにしてもアンデス音楽の要素が冨田勲の音楽に普遍性を与えた実に優れた「シンセサイザー」のアルバムである。※1
【物語性】……★★★★★
冨田勲名義の電子音楽アルバムや野外ライブ(サウンド・クラウド)」に一貫していた世界観が描かれる
【アンデス音楽要素】……★★★★☆
あくまでケーナ、サンポーニャなど、アコースティックな楽器の凄みに着目したアレンジ。また、鼓童の太鼓を中心にすえた「花祭り」もなかなか面白い
さて、冨田勲のアルバムで締めることになった本稿だが、そもそも冨田勲は70年代シンセサイザー開拓世代である。当然、アンデス音楽とその隆盛を知っている世代、もしくはアンデス音楽に興味のある世代なのだ。
では一方で、それより若い音楽関係者を巡る環境はいかばかりか。
2020年代現在、DTMソフトや関連機器の普及によって、いまや高校生や主婦でも一人で自由に音楽制作することができるようになった。
しかし、いかに宅録人口が増加しようが、アンデス音楽をテーマに据えたアルバムはもうこの先はないだろう。
なぜなら、現状で「アンデス音楽」「フォルクローレ」「コンドルは飛んでいく」と聞いて、そのサウンドをイメージできる世代は中年以上に限られているからだ。これはおそらく世界中で共通した現象である。
第一、70年代のブームのときに日本に紹介された「フォルクローレ」と2020年代の「フォルクローレ」は同じ音楽とは思えないほどの乖離がある。かつて日本やフランスで人気があったからといって、現在の「フォルクローレ」も世界中の大衆に訴求するものをもった音楽かというとかなり苦しい。※2
とすれば、現在だけでなく、おそらくこれから先も「アンデス音楽」と聞いても誰もイメージを描けないのではないか。
だから、世界の若手音楽家がアンデス音楽をテーマにアルバム作成するなんてことは考えにくいのだ。
今日まで6回の連載で、電子音楽勃興紀から「アンデス音楽が世界の電子音楽シーンに影響を与えたか」を見てきたが、答えはやはり「否」と言わざるを得ないだろう。80年代のクスコやアタウアルパの動きが他のミュージシャンに広がることはなかったし、90年代には事実上メインストリームの俎上には全く上がってこなかった。
過去にも、そしてこれからも影響を与えるということはないのだろう。
しかし、だ。
電子音楽の開拓者/世界のカリスマともいえる冨田勲が電子音楽に返り咲いた一端をこのアルバムが-----アンデス音楽が------担っていたとすれば、これほど素敵なことはないではないか。
●注●
1
M-5 "Dansa from "Bachianas Brasileiras No. 2" は、ヴィラ・ロボスをクシヤクタのアウトクトナでサンドイッチ、聴き終わった後、アンデス音楽を聴いた気分にさせるという力技。ワラWARAがユーライア・ヒープをコピーした際のお馴染みの手法である。
2
70年代のフォルクローレが世界でヒットしたのには、明らかにその時代を背景とした理由がある。ことにフランスでは英米のロックに対するアンチテーゼ的な意味合いがあっただろうし、日本ではそれに加えて、ペンタトニック音階の懐かしさ・素朴さへの共感があったに違いない。しかし80年代の社会とフォルクローレとではあきらかに水が合わなかった。4畳半フォークが消えていったのと理由は大して変わらない。
2010年代以降のボリビアのフォルクローレは楽器こそチャランゴやサンポーニャを使っているが、実態はチチャやテクノクンビアのノリやスタイルを模倣したものになっており、世界的に新たな聴衆を得ることかなり難しいだろう。アルゼンチンのフォルクローレは、「ラプラタ周辺の音楽」などと形容されるものが、一部の日本のオーディエンスの評価を受けている。これは徹底的に土臭さを抜き、オーガニックかつ洗練された特徴をもつ。これも相当の音楽好きの間では受けるだろうが、世界的な支持は受けにくいだろう。
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